今日は農夫
5月中旬、田植えの準備の水稲の種まきを行いました。私の父は農家の三男坊で有った為、子供の頃は兼業農家、その後はJA職員等という常に農業と近い環境で育ちました。子供の頃は農作業の手伝いが大嫌いで、絶対に農家の跡は継がないと密かに誓っていました。
ここ10年以上、本家に我が家の田んぼの管理もお願いしているので、今年は申し訳に手伝いに出かけました。我が家の田んぼは写真1の約7000㎡の一枚だけ、昔は15,000㎡位はあったようですが、所詮父は分家筋の為に専業農家は早くから諦めていたようです。ちなみに分家前は8万㎡の水田を耕作する大きな農家で私も4歳まで過ごしました。だから、農業は嫌でもDNAはやはり農業や農作物に感度が高まります。(アレルギーか(笑))
めったに来ない我が家の田んぼに水張中。鉄塔の下まで結構広いのです。勿論、私の本家の従兄弟に任せっきり。
これは水田地帯に立てた本家の農作業小屋
小屋の前で稲の育苗パレットの保水材に水を蒔きます。このパレットで育った苗を田植え機にセットして来月末頃に田植えとなります。近代農業は老人でも出来るように機械化が進みましたが、近所や出稼ぎ援農の人達との一大交流イベントであった田植えと稲刈りを戸別の作業にしてしまい、全国の農村で村の交流も少なくなりました。昭和30年代には我が家には田植えの時期に天草より援農出稼ぎの人達が20人近く泊まって朝早くからの農作業が行われたりしていました。
パレットに種籾と土を蒔く機械、後ろには乾燥機と籾摺り機、計量器が並ぶ最先端の農作業小屋。
私は所詮機械屋さん、中の構造が気になり開けてみました。実にシンプルにコストダウン設計が配慮されていて感服。私は日頃から色々な機械を見てエンジニアたちの努力の跡を見つけるが大好きです。
昔は苗床を作って種籾を蒔くというのは、田植え前の大仕事でしたが、今では機械のお陰で私を含めほぼ老人4人と手伝い2人で半日仕事で完了。ちなみに私の従兄弟の本家の当主はオントシ82歳、何時も最先端の農業機械と息子の手伝いで悠々自適の「時々農業」を采配してきました。
昼ご飯は久しぶりに田んぼを見ながら弁当という事になりました。昼過ぎには苗床に約450枚の蒔種を終えたパレットが写真4のように並びました。これに防鳥ネットの寒冷紗を掛けて終了。あとは来月末の田植えまで私はお呼びではないでしょう。
簡単な作業とはいえ普段から体を使わない我が肉体は終わるころには腰痛で夕方はマッサージに来てもらうことになりました。82歳の従兄弟はいたって元気でした。情けなや~。
今から収穫を語るのは、捕らぬ狸の何とやらで早すぎますが、多くの皆さんに収穫プレゼントすること出来ないかと考えています。実は我が家では「あかねグラノラ」を発売以来コメの消費が後退してしまいました。(笑)
品種は熊本米の有名ブランド「森のくまさん」で、本家が田んぼも有機肥料で一生懸命手入れしているので美味しさは定評があります。何とか届けられないか、とか考え始めました。